ショッピングは茨の道
ニューデリーに引っ越して一ヶ月、ほとんど初めて家族みんなで日用品の買い物にでかけた。妻がいつもうるさく(!)「野菜と果物はあそこの野菜屋さんが新鮮」「この酒屋のおじさんは目が座ってるけどいい人」「仕立て屋は◯◯さん」「文房具屋はあそこ」「牛乳とお肉は割高でも配達が安心」と事細かに買い物事情を説明するのを、私も子どもたちも「ふ~ん」と聞き流していた。
そしてみんなで楽しくファミリーショッピングのゆく道がこれである。娘を抱いた妻がズダ靴でずんずん進む道なき道、「新鮮」とか「腕がいい」とか以前に、まず他に報告することなかったのか。何でも揃うスーパーマーケットやコンビニがないインド。この数年で格段に便利になったというが、はっきり言って、妻(かーちゃん)すごくがんばってる!と家族みんなで感謝の念を深めた週末だった。
「インドでもバングラでもどこでもいいよ!」
国際保健のキャリアという文脈で、必ず出てくる家族「問題」。青年海外協力隊や国際NGOなどで、はたして6人家族を養えるかというと非現実的だと思う。お金「問題」である。貯蓄を切り崩したり、バイトをしたりという不安定さがつきまとう。その点、給与も福利厚生もきちんとしてもらえるJPO制度はありがたい。家族連れのほうが扶養手当や教育手当などが雇い主側の負担になる分、JPO後の残留は不利かもしれないが、それはJPOに限ったことではない。JPO制度を利用する立場としては「家族連れでもJPO」というより、「家族連れこそJPO」なんじゃないかと思う。
お金の問題はそれで目処が立つとして、開発途上国に家族を連れて行くかどうかという次の「問題」がある。もちろん核家族で4人子供のいる我が家に単身赴任の選択肢はない。JPO受験から3ヶ月後、二次試験の合格通知には「バングラデシュ国事務所に推薦」とあった。その前年に多くの外国人が犠牲となったテロが起こったばかりのバングラデシュ。外務省に試されている、と思った。職場からすぐに妻に電話だ。
私「合格したけど赴任地がバングラデシュなんだ。」
妻「おめでとう。わかった。図書館行ってみる。」
二つ返事である。「図書館にはバングラデシュの本はなかった」ので、翌日アマゾンでバングラデシュ関連書籍が自宅に届いた。その後、理由は不明だが任地がニューデリーの地域事務所に変更になった。また大都会である。すぐに妻に電話だ。
私「よくわからないけど、任地がインドになりそうなんだ。」
妻「はーい。」
私「デンマークとかスイスとかに変えてもらうこともできるみたいだけど・・・」
妻「なんかインドのほうが楽しそう!バングラでもインドでもどこでもいいよ!いまTSURUYAで夕飯の買い物してて忙しいからまたあとで!」
買い物のほうがよっぽど重大のようだった。こうしてニューデリー赴任が決定した。

突き進む力
3人目の子供は脳性麻痺で、三歳になっても首がすわらず一人では座ることもできない、寝たきりである。その子が通う学校を妻が見つけてきてくれた。家族面談があるというので、(人生で)はじめて有給休暇をもらって妻についていくことにした。
まず、当たり前だが、この学校に外国人はいない(と思う)。上の子供が通う小学校は38カ国だかなんだか、とにかく人種と文化のるつぼである。下の子供が通いだした保育園も外国人がぱらぱらいる。しかし、特殊学校にいるのは、全員インド人の母ちゃんと子どもたちである。主に自閉症の子供が療育支援や職業訓練を受けていて、その中に脳性麻痺の子供も混じっているという感じのようだ。自宅から車で10分という近さがよい。
人生初の(くどい)有休をとった理由の療育コーディネータとの面談も、人間味があって、思ったことをずばずは言い合い、お互いにいくらか譲歩しあい、共通の目標設定ができ、意味のあるものだった。こういう場がきちんと設定されているのは素晴らしいと思う。「リハビリ総合実施計画書」などの形式だけはきちんとしていて、実際の中身や連携はぶっちゃけどうなの?という日本とついつい比べてしまった。ケア計画を調整することに私たちが慣れたという側面もあるが、日本で二年かかったことが、ここでは一ヶ月だ。

教室でご飯を食べた後、ゴムでできたワニのおもちゃにピンポン玉をはめ込んで飛ばすというゲーム(面白いのか?)を、クラスの他の子供たちは標的に向かってやるのだが、目が見えないうちの子供の番がくると、先生はおもむろに「これじゃ面白くないわよね」とワニをくるっと180度回転させ、ピンポン玉を娘の顔に向けてバンバン発射しはじめたのである。もちろん、超楽しんでいた。一人ひとりの子供の能力や特性にあわせて、先生たちが自律的に考えて接してくれているのがとてもよいと思った。
しかし、インドにきてまだ1ヶ月なのに、上の二人の子供を小学校に通わせ、一番下の子供を保育園に通わせ、障害児の特殊学校を見つけ、妻、まことにあっぱれという他ない。私がこの一ヶ月エアコンの効いた瀟洒なオフィスで成し遂げたことの100倍は意義深いと思う。頭が上がらない、ありがとう。
頼る力
もう一つは頼り上手ということだ。こちらに渡航するとき、妻の父が助っ人にきてくれた(我が家はいつも妻の実家に頼りきり)ほかにもうひとり、ほぼ初対面の女子大生も手伝いにきて二週間滞在して、生活の立ち上げを助けてくれた。その後、入れ替わり立ち替わり、ニューデリーの喧騒には似合わない若い女子が3人、入れ代わり立ち代わり、米、味噌などの補給物資を携えて数日ずつ我が家に滞在してくれた。これもどう考えても私の人徳ではない。
核家族で障害児を含む四人の子連れ、途上国の大都会、危険フラグ乱立なのだが、妻は「じゃぁ、だれか手伝ってくれる人探してみよう」とあっけらかんというのであった。そして、どう考えても私が頼んでも来てくれなかったであろう助っ人達が、次々に我が家に舞い降りたのである。困ったときに頼る力、この妻と結婚しなければ、私は一生「大丈夫です、自分でなんとかします」と虚勢を張っていたに違いない。
熊谷晋一郎さんがいう、「自立とは依存先を増やすこと」というのは、こういうことなのだろう。

「このごろちょっと疲れたかもしれない」とふとこぼす妻。そりゃぁもっともですよ。掃除は昨日我が家に来た5人目の子ども(ルンバちゃん)に任せて、いつの日か美味しいハイティーでも飲みに行きましょう。
妻よ、これからもついていきますので、ずんずん進んでください。