13億人ロックダウン

5歳の誕生日にケトン食療法を自主退学した次女

ロックダウン4日目の夜明け
オーブンからパンの焼ける香ばしい匂いがする

在宅勤務1週間
ホームスクーリング3週間
家族みなふつふつと煮詰まる音がする

だがまだ3週間続く

異国の地
不安定な流通
公権力の暴力
東洋人への差別
脳性麻痺の娘
不安はいくらでもある

国外退避を命じられる外国人家庭が増えても
我が家に退避の選択肢はない
父は今が頑張りどきだし
妻子だけ日本に返しても生活は見通せず
ここでなんとかやっていくしかない

体はどこにも出かけられないが
心は自由だ

こんな中だからこそ
くだらないことで笑おう
こんな中だからこそ
家族で笑おう

半熟ファミリーチャンネルに登録すると毎週水曜あたりに、我が家のどうでもいい日常を動画に切り取って、おせっかいにお裾分けします。返歌上等。

妻のnote記事、それでも私は「つながり」を維持したいも暇つぶしにどうぞ。いやほんと、感染症対策、集中治療、保健システム強化とか医療的な側面ばかりが語られがちですけど、人類全体のwell-beingや幸福とのバランスはどうなってるんだ?という俯瞰した視点は常に大事だと思います。

番外編:妻自慢

ショッピングは茨の道

ニューデリーに引っ越して一ヶ月、ほとんど初めて家族みんなで日用品の買い物にでかけた。妻がいつもうるさく(!)「野菜と果物はあそこの野菜屋さんが新鮮」「この酒屋のおじさんは目が座ってるけどいい人」「仕立て屋は◯◯さん」「文房具屋はあそこ」「牛乳とお肉は割高でも配達が安心」と事細かに買い物事情を説明するのを、私も子どもたちも「ふ~ん」と聞き流していた。

そしてみんなで楽しくファミリーショッピングのゆく道がこれである。娘を抱いた妻がズダ靴でずんずん進む道なき道、「新鮮」とか「腕がいい」とか以前に、まず他に報告することなかったのか。何でも揃うスーパーマーケットやコンビニがないインド。この数年で格段に便利になったというが、はっきり言って、妻(かーちゃん)すごくがんばってる!と家族みんなで感謝の念を深めた週末だった。

「インドでもバングラでもどこでもいいよ!」

国際保健のキャリアという文脈で、必ず出てくる家族「問題」。青年海外協力隊や国際NGOなどで、はたして6人家族を養えるかというと非現実的だと思う。お金「問題」である。貯蓄を切り崩したり、バイトをしたりという不安定さがつきまとう。その点、給与も福利厚生もきちんとしてもらえるJPO制度はありがたい。家族連れのほうが扶養手当や教育手当などが雇い主側の負担になる分、JPO後の残留は不利かもしれないが、それはJPOに限ったことではない。JPO制度を利用する立場としては「家族連れでもJPO」というより、「家族連れこそJPO」なんじゃないかと思う。

お金の問題はそれで目処が立つとして、開発途上国に家族を連れて行くかどうかという次の「問題」がある。もちろん核家族で4人子供のいる我が家に単身赴任の選択肢はない。JPO受験から3ヶ月後、二次試験の合格通知には「バングラデシュ国事務所に推薦」とあった。その前年に多くの外国人が犠牲となったテロが起こったばかりのバングラデシュ。外務省に試されている、と思った。職場からすぐに妻に電話だ。

私「合格したけど赴任地がバングラデシュなんだ。」
妻「おめでとう。わかった。図書館行ってみる。」

二つ返事である。「図書館にはバングラデシュの本はなかった」ので、翌日アマゾンでバングラデシュ関連書籍が自宅に届いた。その後、理由は不明だが任地がニューデリーの地域事務所に変更になった。また大都会である。すぐに妻に電話だ。

私「よくわからないけど、任地がインドになりそうなんだ。」
妻「はーい。」
私「デンマークとかスイスとかに変えてもらうこともできるみたいだけど・・・」
妻「なんかインドのほうが楽しそう!バングラでもインドでもどこでもいいよ!いまTSURUYAで夕飯の買い物してて忙しいからまたあとで!」

買い物のほうがよっぽど重大のようだった。こうしてニューデリー赴任が決定した。

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15個のダンボールと7人の手下(助っ人二人を含む)を先導する妻

突き進む力

3人目の子供は脳性麻痺で、三歳になっても首がすわらず一人では座ることもできない、寝たきりである。その子が通う学校を妻が見つけてきてくれた。家族面談があるというので、(人生で)はじめて有給休暇をもらって妻についていくことにした。

まず、当たり前だが、この学校に外国人はいない(と思う)。上の子供が通う小学校は38カ国だかなんだか、とにかく人種と文化のるつぼである。下の子供が通いだした保育園も外国人がぱらぱらいる。しかし、特殊学校にいるのは、全員インド人の母ちゃんと子どもたちである。主に自閉症の子供が療育支援や職業訓練を受けていて、その中に脳性麻痺の子供も混じっているという感じのようだ。自宅から車で10分という近さがよい。

人生初の(くどい)有休をとった理由の療育コーディネータとの面談も、人間味があって、思ったことをずばずは言い合い、お互いにいくらか譲歩しあい、共通の目標設定ができ、意味のあるものだった。こういう場がきちんと設定されているのは素晴らしいと思う。「リハビリ総合実施計画書」などの形式だけはきちんとしていて、実際の中身や連携はぶっちゃけどうなの?という日本とついつい比べてしまった。ケア計画を調整することに私たちが慣れたという側面もあるが、日本で二年かかったことが、ここでは一ヶ月だ。

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ゴムのワニからピンポン玉を受け止める娘

教室でご飯を食べた後、ゴムでできたワニのおもちゃにピンポン玉をはめ込んで飛ばすというゲーム(面白いのか?)を、クラスの他の子供たちは標的に向かってやるのだが、目が見えないうちの子供の番がくると、先生はおもむろに「これじゃ面白くないわよね」とワニをくるっと180度回転させ、ピンポン玉を娘の顔に向けてバンバン発射しはじめたのである。もちろん、超楽しんでいた。一人ひとりの子供の能力や特性にあわせて、先生たちが自律的に考えて接してくれているのがとてもよいと思った。

しかし、インドにきてまだ1ヶ月なのに、上の二人の子供を小学校に通わせ、一番下の子供を保育園に通わせ、障害児の特殊学校を見つけ、妻、まことにあっぱれという他ない。私がこの一ヶ月エアコンの効いた瀟洒なオフィスで成し遂げたことの100倍は意義深いと思う。頭が上がらない、ありがとう。

頼る力

もう一つは頼り上手ということだ。こちらに渡航するとき、妻の父が助っ人にきてくれた(我が家はいつも妻の実家に頼りきり)ほかにもうひとり、ほぼ初対面の女子大生も手伝いにきて二週間滞在して、生活の立ち上げを助けてくれた。その後、入れ替わり立ち替わり、ニューデリーの喧騒には似合わない若い女子が3人、入れ代わり立ち代わり、米、味噌などの補給物資を携えて数日ずつ我が家に滞在してくれた。これもどう考えても私の人徳ではない。

核家族で障害児を含む四人の子連れ、途上国の大都会、危険フラグ乱立なのだが、妻は「じゃぁ、だれか手伝ってくれる人探してみよう」とあっけらかんというのであった。そして、どう考えても私が頼んでも来てくれなかったであろう助っ人達が、次々に我が家に舞い降りたのである。困ったときに頼る力、この妻と結婚しなければ、私は一生「大丈夫です、自分でなんとかします」と虚勢を張っていたに違いない。

熊谷晋一郎さんがいう、「自立とは依存先を増やすこと」というのは、こういうことなのだろう。

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道なき道をゆくお買い物

「このごろちょっと疲れたかもしれない」とふとこぼす妻。そりゃぁもっともですよ。掃除は昨日我が家に来た5人目の子ども(ルンバちゃん)に任せて、いつの日か美味しいハイティーでも飲みに行きましょう。

妻よ、これからもついていきますので、ずんずん進んでください。

医師から国際公務員(3)JPO赴任までの14ヶ月

ようやくJPOとして今日からWHO東南アジア地域事務所(ニューデリー)に勤務します。でもいきなりデリーではなく、まずはコペンハーゲンのJPOSC(JPOサポートセンター)で1日、ジュネーブのWHO本部で3日、事前研修してから任地へ向かいます。JPO合格から赴任まで14ヶ月!の手続きや流れを、家族帯同で赴任するというところにフォーカスして、時系列の箇条書きでまとめておきます。

最終更新 2018年11月5日(初版)

JPO赴任までの流れ

2017年9月 WHOのA国・国事務所に推薦と連絡。二週間後までにP-11(国連の履歴書)提出指示。職場上司にJPO合格を報告し、2018年3月末までに退職の意向を伝えた。

10月 WHOからも外務省からも特に連絡なし。3週間たったところで外務省に問い合わせすると「WHOに推薦中」との返事。

11月 2ヶ月経過しても特に連絡なし!さすがに次の診療所長の人事もあり、改めて外務省に問い合わせ。A国・国事務所への赴任ではなく、ニューデリーの東南アジア地域事務所への赴任を内々に打診される。この時点ではまだWHOからの連絡や面接はなく、赴任は確定していない。にもかかわらず、1月の国内赴任前研修の参加申し込みが届き、狐につままれたような気持ちで申込み。

12月 やはりWHOからも外務省からも連絡なし。もう想定の範囲内。3回目の問い合わせをし、下旬にようやく2つのTOR(Terms of Reference: 業務内容書)が提示され、そのうちひとつを受諾。外務省からWHOに選考を進めるように連絡してもらう。

2018年1月末 WHOからの面接の連絡を待つこと一ヶ月、突然「WHOにようこそ」メールが届く。もう驚かない時を同じくしてJPOSCから手続き開始の連絡。数日後、JPOSCからも書類提出やセキュリティー関連のオンライン研修、健康診断の指示が五月雨式に大量のメールで届く。書類の提出期限が一週間前後と早いので仕事やプライベートを犠牲にして大急ぎで準備したが、多少遅れても大丈夫なよう。(セキュリティー研修は無線機の使い方とか、拉致されたときに逃げ方とか、全然シャレにならない内容。2つ目のコースの修了が間に合わず翌月受講し、証明書の提出を8月に催促されるまで失念していたが、特に問題なかった)

健康診断と予防接種

最も時間と手間を要するのがこの医学的な準備。職場の病院にたまたまトラベルクリニックがあったため、健康診断とワクチン接種(家族6人で合計40万円くらいかかったが後日払い戻しあり)を開始。予防接種の内容は滞在先や職務内容によってかわるので、信頼できる医師をみつけて予防接種スケジュールを設定してもらうことが最も重要。

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健康診断のほうは、もともと受けていた職場の定期健康診断に含まれていなかった赤血球沈降速度だけ追加検査(数百円)してもらい、検診結果をもとに入職時診断書を記載してもらい、原本はWHOスタッフ医師に郵送し、スキャンデータも送る。JPO同期には臨床的には無視できるくらいのわずかな検査値異常で精査指示をされた人もいるので、なにかしらの異常があれば、あらかじめ医師と相談して再検査や精査をしておくと手間が減るかもしれない。都内ならいくつか手慣れたクリニック(The King Clinicなど)があるよう。この際重要な点は、診断書を記載するのは医師でありさえすれば誰でもよく、日本に数人しかいない「国連指定医 UN certifies phyisician」である必要はない、という点。ここを間違うと、手間が10倍になる。

ここまではあくまでもWHOに入植する場合に必要な健康診断と医学的許可medical clearanceの話。所属機関によっては異なる可能性あり。国連本部にはWHOとは別に、MS.3という自己申告をして、特に精査なく、医学的許可が出た。

2月 WHO SEARO上司とSkype面談し、現在の職場の後任がなかなかみつからない事情を説明し、赴任時期を11月に延期してもらう。JPOSCと外務省に報告し了承を得る。赴任時の航空券を余ったマイレージの特典航空券で手配。JPOの場合、正規エコノミー運賃の75%が支給されるので、自前で航空券手配を行い、UNDSSの保安許可をもらう。東京、コペンハーゲン、ジュネーブ、デリーというような変則的なチケットなので、特典航空券が安くて便利。赴任地から日本行きの区間が残るので緊急帰国にも備えられるおまけ付き。(使わずに住むとよいが)家族は本部研修の旅費は出ないが、家族帯同しているJPO同期もいた。子供がそれなりに大きくて人数が少なければ、そういう選択肢もあるかもしれない。我が家は障害児を含む4人の怪獣を帯同するのは困難なので、本部研修の後一旦自費で日本まで戻り、家族をデリーまで連れて行くことにしてJPOSCとWHOの許可をもらった。

3月 UNDP Indiaにビザ申請について相談。こういった相談がWHO SEAROにできないのが面倒。一時が万事で、住居手当も、教育費の払い戻しも、渡航許可も、すべてUNDPのJPOSCが所管。ところが、個別の詳細はUNDP IndiaやWHO SEAROに相談するようにと言われてしまうことも多く、困惑してしまう。

個々の国際機関は数少ないJPOの対応に慣れないので、事務処理がUNDPのJPOSCに集約しているのは合理的な面もあるが、やはりJPO側からすると、誰に相談してよいのかわかりにくく、いろいろな確認や手続きがたらい回しにあうこともしばしばで、使いやすい制度とは言い難いと思う。

さて、UNDP Indiaによると、ビザ申請の前にUNLP(レセパセ)が必要とのことでJPOSCに相談すると、赴任3ヶ月前くらいでないとUNLPの申請はできないと。小学生の転校先に問い合わせをすると、今ある空席をキープしてもらうには、入学金と授業料の支払いが必要との返答。JPOSCに払い戻しが可能かどうか確認すると、EoD(Entry on Duty)以前の支払いには払い戻しができないとの返答。この時点ですべての手続きが一旦棚上げに。5ヶ月塩漬けである。

8月 満を持してUNLP申請。家族は日本のパスポートのみ。写真が2x2インチと日本ではあまり使わない大きさなので注意。近くの写真屋で仕事帰りに撮影してもらい、スクラブよりはいくらかよいかと白衣のジャケットを羽織ったところ、サイズはOKだったが、上着と背景のコントラストがないと却下されてしまった。今度はちゃんとスーツを着てスピード写真で撮影し受理。Jpegデータがダウンロードできる機械だったので、UNLP申請も、その後のインドビザ申請にも使えて便利だった。10日ほどするとDHLで日本の自宅にUNLPが届いた。(実は全く他人のUNLPも手違いで届き、それは国連本部に送り返したおまけ付き。案外、単純ミスがある)

9月 インド大使館にUNLPに国連公用ビザ取得について相談。

インド国連公用ビザ申請

電話相談はインドの平日、9午前9時から11時の間しか受け付けていないので、つっけんどんに断られてもびっくりしないこと。基本的に必要なのは、受け入れ国際機関の口上書Note VerbaleとUNLPのみで、申請費用は無料。郵送料1000円のみ。ただし、今回は扶養家族がいるので、それを口上書に書き加えてもらうのと、追加費用が一人あたり1550円+郵送料1000円の合計2550円かかる。費用の計算などは自分でして現金書留で郵送するので注意が必要。封筒は現金書留専用封筒でなくてもできるのを初めて知ったが、郵便局員さんはしらなかったので、そのように主張する必要あり。

さらに、赴任先が新しいポストで前任者がいない場合(JPOは基本的に新しいポストのことが多いだろう)、インド政府からの受け入れ許可証の原本が必要と指摘され、WHO SEAROとUNDP Indiaに連絡するも、いずれからもそのような文書は発行が困難で、また不要であろうとの返答。代わりにWHO SEAROから、扶養家族も含めた口上書が追加で発行され、インド大使館の担当者は不安げだったが、結果的には問題なくビザが発行された。重要なのは、口上書は原本を直接東京のインド大使館に郵送してもらうのを忘れないこと。

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UNLPと家族のパスポート(本人の日本のパスポートは不要)、申請書を東京のインド大使館に郵送。数日で電話連絡があり、「初回はsingle entry、3ヶ月しか出せないので、発給日をなるべく先送りしましょう」と提案あり、(JPOSCからは一日も早くとせっつかれたが)10月中旬の発行を依頼。予定通り発給され、10月下旬に自宅に郵送された。この場合、JPO本人はUO-1、扶養家族はMiscというビザ種別であった。

9月下旬 UNDPから赴任手当(引越し費用と飛行機代)が事前に知らせた口座に送金される。もともとあった新生銀行の口座を使った。着金時にどういった性質の送金なのかと確認する電話があり、後日入金を知らせる手紙の郵送があった。新生銀行は海外居住者は使用できない決まりなので、給与振込先として正式に利用を続けるのは難しい。9月末で前職を退職し一時的にプー太郎に。

10月

上旬 船便で引っ越し荷物発送。日通とヤマトで見積もりをとり、どちらも対応はよかったが、ヤマトで6立法メートル約40万円で依頼。荷造り、荷解きもすべて込み。大型家具は日本でも使うので発送せず、子供の車椅子、衣類や食品など、インドで調達困難だがすぐになくてもどうにかなるものが中心(そんなものあまりない)。荷物の到着予定は2ヶ月後の12月中旬と。もし引越し費用が全額出るのであれば一時的にサービスアパートメントに滞在して、家財一式運ぶという手もあったかもしれないが、JPOSCでは特に困難な赴任地以外は、民間業者を利用した引っ越しが決まりで、一律9000ドル(単身者)または10800ドル(扶養家族あり)支給とされているので、闇雲に大型家具を送るのははばかられた。

中旬 学校の入学手続き、住居、運転手やメイドさんの契約、持病のある子どもの通院先探しなどのために1週間ニューデリーに滞在。学校は11月赴任以降の入学でたまたま空席があり入学金と授業料を支払い。入金期限が近く日本に帰国後の送金では間に合わなそうであったため、クレジットカードで支払い。高額のためカード会社に連絡して事情を説明し、人生初めてという金額の決済。

住居は一般的にはAirbnbやサービスアパートメントで生活を初めて、船便の荷物がつくころまでにじっくり探すというスタイルが一般的。しかし子供4人の我が家にとって、赴任後の引っ越しは負担が大きく、事前調整してしまうことにした。WHOやUNDPからの業者の紹介や斡旋はなく、自分で仲介業者を介して探した。住宅手当(Rental Subsidy)が出るが細かい規則があるので、ウェブサイトの計算フォームで要確認。基本給が低いほうが補助が大きいので、JPOでP2レベルのうちのほうが案外少ない自己負担で広い物件に住みやすいという矛盾がある。赴任地やランクごとに家賃に上限額があり、これはUNDPの国事務所に確認、許可を得る必要あり。入居は赴任日からの契約としてもらい、現金で手付金を支払い、契約。これも住居手当は支払われることをJPOSC、UNDP Indiaに確認した。(このあたりの払い戻しがうまくいかないと、かなり手出しが増えてしまうので重要)

ドライバーは車付きでWHO同僚から紹介してもらった。これも公の斡旋はなし。

JPOSCを通じてUNDSSから旅程と滞在先の保安許可を取得。家族の分も申請が必要。

こうしてようやく赴任。赴任時期が延びたのはこちらの原因で例外的だが、9月のJPO二次試験合格発表から、実際に国際機関から受け入れ連絡(最終合格通知)があるまで、私のケースでは約4ヶ月かかっており、その間もこちらから問い合わせない限りはアップデートがありません。さらに、最終合格通知から赴任期限まで2ヶ月しかなかったことに注意が必要です。特に妻帯者や、後任人事が難しい職場では、この点は心構えがないと振り回されます。JPO試験のスケジュール自体が今年度から変更になっているので、このあたりも改善しているかもしれません。

ちなみに成田空港で出国時にUNLPを出したところ、別室に案内されて、結局出国印は日本のパスポートでした。へー。

医師から国際公務員(2)JPO合格まで

前回の医師から国際公務員(1)JPO応募までのつづきです。知り合いにJPO経験者がいないと、なかなか実際の様子が想像できずに踏み出せないJPO試験。情報を持っている人とそうでない人の格差を少しでも埋められればと思ってまとめましたのでご参考にどうぞ〜。

ちょうど昨日(2018年2月9日)、平成30年度のJPO試験の事前告知が外務省から出ました。要は、語学試験は早めに受験しておいてください、例外はないですよ、という告知です。平成29年度も同じようなタイミングで、同じようなアナウンスがありました。一緒にFAQ(よくある質問)もアップデートされて、合格者のTOEFL平均点が104点だったなど、具体的な記載があり参考になります。

JPO試験 応募から合格までの流れ

さて、時間軸に沿って応募から合格通知までの流れを簡単にまとめておきます。全体像は外務省のウェブサイトにある「JPO派遣制度ガイドブック」がわかりやすいので、一枚引用。

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JPO派遣制度ガイドブック より引用

5月の連休をつかって滑り込み応募した書類は、5月一杯かけて書類選考にかかります。ここがどのくらいの倍率かは非公開。

6月

上旬、一次審査(書類選考)合格通知がメールで到着。

あなたは,「2017年度JPO派遣候補者選考試験」の第一次審査(書類選考)に外務省選考枠で合格されましたので,ここに通知いたします。
第二次審査は,下記の要領により実施します。
試験地: 東京
集合日時:
7 月 x 日(x) xx:xx(英語筆記試験)
7 月 x 日(x) xx:xx(面接審査)
原則として指定した試験地及び面接日時の変更はできません。

  1. 試験場所(東京、ジュネーブ、ニューヨーク)と試験日程は、外務省から指定されて、原則として変更もできない。
  2. ただ、役所の言う「原則」は「例外」を排除しているわけではないので、個別の事情があれば相談してみることはできる。
  3. いずれにしても平日を休んで試験を受ける必要が有ることは変わらないし、一ヶ月程度の猶予もあるので、つべこべ言わずに仕事や家庭の調整して受験に行くしかない。
  4. この時点ではじめて職場の上司にJPO試験を受けていることを伝え、了承をもらった。
  5. 職場によって違うだろうが、私の職場の就業規則では、退職3ヶ月前までの意思表示が必要とされている。でも実際には少なくとも半年、できれば一年くらい前には伝えていないと人事が難しいのが医療分野の実情・・・。
  6. 外務省選考枠とあるのは他に、UNDPなどの国際機関が直接選考する枠もあるため。WHOを第一希望にしていると、外務省枠になる。
  7. 書類選考でどのくらい絞られるのかは公表されていない。
  8. 英語力についてはFAQに次の記載があり、たしかに語学力だけでの足切りはしていないのが見て取れるが、合格者の平均は結構高いなという印象。やはり語学が足を引っ張らないという意味では100点前後が一つの目安になりそう。

2017年度JPO試験(追加募集試験を除く。)の最終合格者のうち、 TOEFLテストで受験した最終合格者のスコアは平均104.6点(最低点 90点、最高点119点)、IELTSで受験した最終合格者のスコアは平均7. 2点(最低点6.0点、最高点8.5点)でした。

7月

上旬、外務省本省で第二次審査(面接)。

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標高1350メートルで育つ「雲の上のトマト」

野辺山高原のレタスと雲の上のトマト(高見沢憲一さんのばかうまフルティカ)を手土産に大学時代の同級生の家に転がり込んで前泊。もちろん東京までの交通費や宿泊費は手弁当なので、節約できる所は節約です。

同じ日の受験者は4人、うち2人は海外から一時帰国しての受験でした。面接で当日一緒になったのは4人で、そのうち合格したのは(おそらく)2人。一次選考の合格者数は公表されていないので面接の倍率が何倍くらいなのかは不明ですが、n=4のサンプリングと私の直感に基づいた推測では、おそらく2倍以下までしぼられているのではないか、という手応えです。嘘だったらすみません。

筆記試験

英文エッセイですが、外務省国際機関人事センターのウェブサイトにある過去問とよく似た問題が出ます。同じような問題はでないだろうと高をくくっていたのを反省。せっかく過去問が公開されているので、一度は自分で書いてみておくと良いと思います。午前の筆記試験から午後の面接試験まで4時間くらい間があったので、緊張をほぐすために寿司を食いに行ったのは家族にはまだ告白していません。

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イメージ映像 (糸魚川のすし活さん)

面接試験

詳細まで踏み込むとこの試験の妥当性を損ねてしまうかもしれないのであまり具体的には書けませんが、基本的には和やかな雰囲気ですので身構える必要はありません。

  1. 日本の会場はみんなリクルートスーツ。目立つ作戦ならパーカーで。
  2. 面接官は3人で、外務省から責任者がお一人、外部の国連勤務経験のある面接官が二人。
  3. 時間は30分前後で、質問はどれもごく一般的な内容で、奇をてらったものはない。例えば、
    1. どうしてJPOを希望したのか
    2. なぜWHOか
    3. WHOでどのような仕事をしたいか
  4. 面接は国連で一般に採用されている、典型的なCompetency Based Interviewではない、というのはポイント。でも、来年かわってたらすみません。
  5. 日本語の質問には日本語で答え、英語の質問には英語で答える。フランス語などの国連公用語の運用能力ついて応募書類に記載していると、その言語での面接が加わることもあるらしいが、私には無関係。
  6. 準備らしい準備もあまりできなかったが、とりあえず国連の事務総長とWHOの事務局長が交代したばかりだったので、名前と顔を確認して就任演説の内容を印刷して、ざっと目を通していたのはよかった。
  7. ロジ面では、霞が関の地下鉄駅にはロッカーがあるので、大きな荷物はそこに入れておけば身軽です。
  8. 海無し県民の悲しい性で、帰りの新幹線でも寿司を食ってしまった。友人宅泊で宿泊費を浮かせた意味半減。

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東京駅グランスタの竹若の塩にぎり

9月上旬

二次審査合格のメールが到着。

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写真はイメージです

あなたは、2017年度JPO派遣候補者選考試験に合格し、JPO派遣候補者となりましたので、通知いたします。外務省国際機関人事センターは、該当する国際機関に対し、あなたを下記のポストへの候補者として推薦します。
WHO, Health Systems, Technical Officer(バングラデシュ・ダッカ)

待つこと二ヶ月、合格通知です。でも、これで派遣が決まったわけではありません。私の場合、赴任先と赴任時期がようやく確定したのは、2018年2月になってから。二次審査の合格発表から5ヶ月後です。それなのに赴任時期が「原則」3月末というスケジュールは、家族持ちの感覚としてはまぁ無理ゲーとしか言いようがありません。

しかも、派遣が最終確定するまではあくまでも「派遣候補者」に過ぎず、派遣先が二転三転したり、先方からの連絡がパタリと途絶えて一ヶ月くらいが経過したりしていると、そのうち家族から「本当に行くの〜?」と白眼視され、職場では上司に「まだいつ派遣になるのか決まらないんですが」と苦しい説明を続けざるを得ず、だんだんボディーブローのように効いてきて、「俺、本当にいくのかなぁ〜」と弱気になりながら、気づいたら年越ししてました。

そのあたりの話はまた次回、医師から国際公務員(3)JPO合格から派遣までで。

医師から国際公務員(1)JPO応募まで

「先生こんど、ニュージーランド行くんですか?」
−−いえ、ニューはニューなんですけど、多分ニューデリーの聞き間違いかなぁ・・・。

退職の噂が広がってから、院内ですれ違うたびに、ちょっとずつピントのずれたやりとりを続けるこの頃です。

村の診療所からWHOへ

総合診療医として9年勤めた信州を離れ、インド・ニューデリーにあるWHOの東南アジア地域事務所(SEARO: Regional Office for South-East Asia)に赴任することになりそうです。中学卒業と同時にギャップイヤーをとってインドやネパールの山の中を放浪したときの強烈な原体験からあっという間に18年。

高校、大学と9年勉強して医師になってみたら、実は日本にだって医療が十分に行き渡らないへき地や、お金や保険や滞在資格がないために医療を受けられない人々がいるという現実を目の当たりにしました。海外の話をする前に、まず足元の日本できちんと仕事をして学ぼうと、あっという間に9年が経ちました。

心の中では守りに入って、「もう海外に出て仕事をすることはないだろうなぁ」と漠然と感じ始めた33歳。35歳の年齢制限までに一度だけ応募してみようとJPO試験を受けてみたら、様々なご縁が重なってか、拾って頂けることになりました。

手探りのJPO応募

試験を受けて一番心細かったのは、医師でJPO制度を使った方の情報はウェブ上ではお一人しか見つけられなかったこと。JPO制度を使ったという知人も周囲におらず、応募は文字通り手探りでした。

この記事でJPO試験の経過についてシェアすることで、日本で臨床をしている医療職の方が、JPOとして国際機関で働くことを現実的な選択肢として考えてもらえるようになったらいいなと思います。

34歳、非帰国子女、海外勤務経験なし、子持ち。

どれもJPO試験には不利な属性ばかりのはずなのに採用していただけたのは、JPOの予算自体がここ数年増えて相対的に倍率も下がっていること(2004年は30倍だったのが、昨年は7倍)や、UHCなど保健分野で日本のプレゼンスを高めたいという政府の思惑も影響したのかもしれません。今年は私が知る限りで医師が4人、看護師が3人JPOに合格(派遣先はWHO 6人、IOM 1人)しています。ですから医師・看護師からJPOは決して特殊ではありません。今はむしろ医療者にとっては追い風が吹いている感じがします。

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JPO試験の応募まで

1月

新年の家族会議。今年の目標は「次のステップを考える」。
日本の将来への漠然とした不安や、子供の教育なども考えて、外務省のJPO試験の受験を考え始めた。

2月

JPOの募集要項が発表になった。国際機関人事センターのFBページをフォローしたり、JPO試験の公開グループに参加しているとお知らせしてくれるので便利。JPO試験を受けるかどうかはまだ決めきれなかったが、ひとまずTOEFLは受験。

  1. ほとんど準備はできなかったが、オンラインで購入した模擬試験を2,3回分解いておいた。実際の画面の操作になれることができるので価値あり。
  2. 受験料(直前申込みの割増料金)と模擬試験の問題集アプリであわせて300ドル弱。ETSのウェブサイトにはMacのSafariではうまくログインできないので注意。Firefoxなら大丈夫だったはず。
  3. 受検地は甲府で毎月実施されていて助かった。東京、大阪など大都市なら頻繁に開催されている。
  4. 受付で撮る写真がそのままスコアカードにも印刷されるので、あまりラフな格好はやめたほうがいいかもしれない。
  5. 試験時間は4時間以上と長く、パソコンに向かってひたすら文章を読み、書き、聞き、話し、試験終了後はぐったり。チョコレートなどの糖分を持参しておくと、休憩のときに補給がしやすい。

試験が終わった後は、休日を潰されて不満げな子どもたちをつれて富士急ハイランドまで足を伸ばし、トーマスランドで火照った頭をクールダウン。

受験して10日ほどでオンラインでスコアが表示され、足切りといわれる100点クリアを確認して終了(実際には足切りはないよう)。どうせ帰国子女は120点満点近くとるので、英語力では差はつかないような気がする。

3月

東京のユニセフハウスで開かれたJPO説明会に参加。参加者はざっと見た感じでは70人程度で、学生から社会人まで様々。リクルートスーツの人もいれば、パーカーの人もいます。外務省の国際機関人事センターのスタッフが具体的な制度や国連の給与、福利厚生などの説明をしたあと、JPO経験者から応募上のポイントなどの話がある。
(資料は外務省のウェブサイトを参照。保存用コピー: JPO_Seminar_Briefing

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ここでJPOからUNDPの人事部正規職員へ進んだOさんの

「なぜNGOでも外務省でもグローバル企業でもなく国連なのか」
「チェックボックスをより多くティックしたほうがお役所的には選考に有利」
「応募書類にストーリーを持たせて際立たせる」
「国益と個人の思いのバランスが重要」

といった指摘は、応募書類を書き進める上で重要な指針とになった。こういう助言は選考する人事センターからは出てこないと思うので貴重。会場を見渡してみてどんな人がJPO試験をうけるのかという空気感をつかむためにも、ぜひ一度は説明会に足を運んでみたほうがよい。

4月

重い腰を上げて応募書類を書き始める。

  1. 書いては消しなので、ログ管理をきちんと。
  2. 大まかなストーリー、エピソードを書き出して構成してから記載を。
  3. 希望する機関や職種は具体的に記載。他の候補者とバッティングせず、自分の専門性ともよく合致したポストを記載できているかどうか。
  4. 赴任地に関する制約は危険度(HARDSHIP CLASSIFICATION01072017 )に応じて「Aのみ」とか、「Cまで」とかいうこともできる。もちろんここで制約が多ければその分不利になるのではと躊躇するが、後から覆すことはできない部分でもあるので、偽らずに明記したほうが良い。実際、私の場合はFamily Duty Station(家族同伴可能な場所)と記載して応募したが、提示されたポストはDhaka(危険度C)やNew Delhi(同B)で生活のハードシップは高い赴任地ばかりで、特に両親などからは「なんでAってしとかないの!」と呆れられた。(でも、それじゃ受からないかもと思うのが人情。)

  5. 外務省人事センターのFAQ(http://www.mofa-irc.go.jp/jpo/dl-data/2018FAQ.pdf ) には「本欄は選考を不利にするための質問ではなく、外務省国際機関人事センターが あなたの配属を考慮するためにお伺いするものです。ご家庭の事情や健康上の 理由などにより勤務が困難な地域がある場合は、正確にご記入ください。」とあるのが公式見解。
  6. 書類は日本語と英語とあるが、まずは日本語を書き進めるほうが楽だし、おそらく重要。
  7. 英語はP-11という国連共通フォーマットとほぼ同様で、実は外務省の選考ではほとんど見られていないのかもしれないと合格者同士では話した。
  8. Referenceに含める人には事前に連絡をして了解を得るのが原則。しかし、実際にReferenceに連絡がいくとしても、二次試験に合格して、国際機関側からの照会がかかる段階になってからだろうから、応募時に必須ではなさそう。私の場合は書類選考に合格してから声を掛けた。

5月

ゴールデンウイークを使って締め切り直前まで書類作成。提出は期限の90分前に滑り込んだ。

  1. Zipで圧縮して指定の条件を満たすパスワードを掛けるという作業があるので、時間には余裕をもったほうが良い。
  2. 受け取りましたという確認メールが数日の内に送られてきた。

これで応募はおわったので、書類選考の結果を待つ。

続きはJPOへの道(2)合格まで