主を失った日本御殿ー現行の帰国支援のスキームは破綻している

朝一番にバイクを借りて、彼の家を目指してひたすら高速12号線を飛ばした。家の外でお姉さんが片づけをしていて、おひさしぶりです、弟さんの調子はどうですかと問いかけると、穏やかな声で同じ言葉を何度も繰り返した。意味はわからなかった。

彼女に招き入れられた居間の壁には、彼の笑顔の写真が掲げてあり、その下には日付と年齢が入っているらしかった。仏暦2550年ということは548引くと、西暦2007年ということだ。それはつまり、彼の遺影で、彼女が繰り返していた言葉は(居間に彼の姿がない時点で内心わかってはいたが)「死んだ」だったわけだ。旅行者向けの会話帳にそんな単語はない。

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患者さんは亡くなってた。仏歴で1月3日のことだったらしい。通院もせず、薬も飲まず、食べもしないのに水のような下痢をしながら息を引き取ったとお姉さんは淡々と語った。日本にいたころの彼の写真を部屋の置くから出してきてくれて、そのなかで彼は雪かきしたあと仕事仲間とキリンラガーを飲んでいるのだった。

結局、単なるたらいまわしだ。どうせ死ぬしかないなら、せめて祖国で死ぬほうがいくらかましと、むりくり納得するしかないのか。

AIDS発症しても、きちんと治療を受ければ社会復帰だってできるんだから、まだ44歳の若さで世を去ることはなかったんじゃないか。本人やお姉さんが、病気のことを十分には理解できていなくて、しかもその誤解をほぐす人が回りにいなかったのが大きいのか。

彼の家から車で20分のところにあるコンケン最大のシーナカリン病院の建物が、立派過ぎて虚ろだった。30バーツ制度自体が不完全なのか、あるいは住民の間で制度の使い方が十分に理解されていないのか、いずれにしても、現行の帰国支援のスキームは破綻している。引継ぎできない帰国支援は、無責任だ。

なにか、代替案はないのか。

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